悪魔、悪霊について その1
聖書には悪魔や悪霊についてなんと書いてあるでしょうか?
▼悪魔の起源
創世記のはじめに、神は6日の間創造の仕事をされ、7日目に休まれました。
そして毎日できたものをご覧になって「良しとされた。」ことが書かれています。
1日目
Gen 1:4 神はその光を見て、良しとされた。
3日目
Gen 1:12 ……神は見て、良しとされた。
4日目
Gen 1:18 ……神は見て、良しとされた。
5日目
Gen 1:21 ……神は見て、良しとされた。
6日目
Gen 1:25 ……神は見て、良しとされた。
ところが興味深いことに第二日目だけは何もおっしゃらず、良しとされなかったんですね。
Gen 1:6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
Gen 1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
Gen 1:8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
おそらく、この日に天の御使いが作られたのだと考えられます。
この日には神が良しとされない者が創られたということです。
この第二日目こそがサタンの誕生日です。
創世記のはじめというと多くの人は「はいはい神話神話」と適当に流してしまいがちですがここには重要な真理がたくさん隠されているんですね。
▼サタンの罪
サタンは神様の傑作であって、知恵と美しさにあふれた天使の長でした。
エゼキエル28章にはサタンのことが交易で栄えたツロの王にたとえられて説明されています。
Eze 28:12 「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。
Eze 28:13 あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。
Eze 28:14 わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。
Eze 28:15 あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。
Eze 28:16 あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した。
Eze 28:17 あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。
彼は神様から与えられたあふれる知恵を悪事に使ってしまったのですね。
イザヤ書に天から落ちていく御使いを示しているとされる有名な聖句があります。
イザヤ14章12-15節
Isa 14:12 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
Isa 14:13 あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、
Isa 14:14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
Isa 14:15 しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。
彼は創られたものでありながら、自分も神のようになろうという野望によって罪を犯し、天から落ちてしまいました。
「切られて地に倒れてしまった。」とあるようにいのちである神様からのエネルギー供給が断たれたことが示されています。
これ2回目ですが、彼らはちり(アダマー、ちりにすぎない人(アダム)つまり人の魂)を食べねばならなくなりました。
(アダムに対して)神様曰く、
Gen 3:19 ……あなたは、ちりだから……
へびにむかって、
Gen 3:14 主なる神はへびに言われた、「おまえは、……一生、ちりを食べるであろう。
いつもの余談ですがここで気になったのはイザヤ14章15節では「陰府に落され、穴の奥底に入れられる。」とあり、黙示録に出てくる「底知れぬところ」は死者の魂が眠りについている陰府の奥底にある場所のようです。
2Pe 2:4 神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
また神さまは人が罪を犯したその日に、救いの計画を語られました。
サタンもまた、この言葉を聞いていました。
Gen 3:15 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
サタンは救世主の誕生を阻止するために神の民に対してあらゆる攻撃を加え、それがユダヤ民族の苦難の歴史として現れたということです。
御使いの三分の一が彼に従い、罪を犯し、悪魔となりました。
悪魔たちは救世主の誕生を阻止するため、あらゆる手を使って人を堕落させ、ノアの時代には義人は数えるほどしか残っていませんでした。
地上には暴虐が満ち溢れ、特に重大な罪(人の娘との姦淫)を犯した悪魔は「底知れぬところ」へ閉じ込められました。
Gen 6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
Gen 6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
Gen 6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
ここに出てくる「神の子たち」はヨブ記の記述から御使いたちであることがわかります。
Job 1:6 ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。
Job 2:1 ある日、また神の子たちが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。
ネピリムは御使いと人の相の子であり、御使いの持つ力を受け継いでいる巨人や超人のような存在と言われています。(あるいは自分の子を御使いが助けていた。)
ノアの時代は大空の上に水蒸気の層があったため(創世記1:7)、巨人や恐竜のような巨大な生物が生存できる環境でした。
また旧約外典の「エノク書」にはこの半人半悪魔であるネピリムの霊が悪霊であると書かれていますが、その辺はよくわかりません。
おそらく力の差とかあるんでしょうが、どっちも悪いことに変わりはないので、特に区別する必要はないでしょう。
というわけで悪魔・悪霊は罪によって天から落とされた御使いでした。
聖書の中で御使いを拝むなとわざわざ何度も警告していたのはこのためでもあるでしょう。ちなみにモルモン教は天使モロナイを拝んでるそうです。
え、それ、天使じゃなくて堕天使では!??
まあ何を拝もうとその人の責任です。
悪魔だの悪霊だのそんなもんおるかいな~という人が多いでしょうが、Jon Courson牧師によると、1952年にフィリピンのマニラで実際に悪霊(としか思えない見えない怪物)に襲われた少女の事件が報告されているそうです。
当時のLIFE誌に載ったそうで、この事件は地元の警察でも記録が残されています。
サーチライト with Pastor Jon Courson 創世記第6章-3 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BBXMQ2LrwoQ
5:45から(例によってこのラジオを全部聞けばこの記事読む必要ないですね!)
<概要>
フィリピン・マニラ 1952年LIFE誌に載った事件
・霊媒やカルト活動に関わっていた17歳の少女がある日問題を起こし刑務所へ
・刑務所でガードマンが見たのは見えない怪物に襲われる少女 何者かに服を引き裂かれ背中が歯形だらけになった
・少女が言うには「霊が噛みついた」
・2、3日放置されたが収まらないので独房へ 毎晩、鍵のかかった場所で完全に隔離されたが
・背中の歯形は増え続けた 少女は悪魔の仕業だといった
・職員らは打つ手なしで宣教師ボブ・マケラスティンを呼んで悪魔祓いをやった(少女を祝福し、悪魔が去るよう祈った)
・LIFE誌はこの件を問題視され評判を落とした。
この話は日本でも私が子供のころ読んだ「世界不思議大全」みたいな感じのタイトルの本(タイトル忘れました)に取り上げられていたのを覚えています。
もっとも、その本では少女が占いやオカルトに深入りしていたことやクリスチャンの伝道師が悪魔祓いを行ったことは省略されていて、ただ見えない怪物が少女に噛みついたことだけが書かれていました。
日本では千里眼事件なんてのもありましたが、世の権力者は悪魔や悪魔崇拝に関する情報を隠そうとしているようです。
悪魔のあげた最大の成果は、現代の我々に、「今は科学の時代だ。悪魔や悪霊などいるはずがない。」という常識を植え付けたことです。
いないはずのものを警戒することはないからです。
終わりの日には「底知れぬところ」からノアの時代を暴虐で満たした悪魔が上ってきます。(黙示録の第五、第六のラッパ)
神も悪魔も信じないというような人は真っ先に餌食となっていくことでしょう。
おしまい。
神の名「YHWH」の真実
旧約聖書が書かれ始めた頃は聖書に神の名「YHWH」がそのまま書かれていました。
その後、十戒の一つに
Exo 20:7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
とあったため、ユダヤ人たちは罰を恐れて神の名を「主(アドナイ)」に置き換えてしまいした。この神の名YHWHは正確な読み方が今でもわからないために、ヤーウェーとかヤハウェとかエホバとか好き勝手に呼ばれています。
または省略して「ヤァ」と呼ぶ場合もあります。
しかし、聖書の研究が進んで、問題は読み方ではなかったことが判明しました。
イエス・キリストが十字架にかけられるとき、ピラトは罪状書きとして「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という札を三カ国語で書いて十字架の上にかけさせました。
支配者の言語であるラテン語と、当時の公用語であったギリシャ語、そしてユダヤ人の言葉であるヘブライ語です。
ヨハネ19章
Joh 19:19 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上にかけさせた。それには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いてあった。
Joh 19:20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル、ローマ、ギリシヤの国語で書いてあった。
Joh 19:21 ユダヤ人の祭司長たちがピラトに言った、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」。
Joh 19:22 ピラトは答えた、「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」。
ユダヤ人の祭司長たちはなぜか罪状札の内容にこだわりました。なぜだったのでしょうか?そう、彼らは聖書に精通していて、ヘブライ語も完璧でした。彼らは気づいてしまったのです。
ユダヤ人の王、ナザレのイエス
JESUS OF NAZARETH THE KING OF THE JEWS.
日本語や英語で書いても何の変哲もありませんが、これをヘブライ語で書くと(ヘブライ語は右から左に読みます。)、
なんと神の名であるYHWHが現れてしまうんですね。
※ちなみにVとWはヘブライ語では同じ文字で書かれます。
果たしてこれが偶然でしょうか?
イエス様がピラトに頼んだのでしょうか?そんなわけないですね?
これは偶然ではありません。
心の目の開けた者だけが気づくように、世の初めから計画されていたのです。
たまげた。
ちなみに一般のユダヤ人たちはアラム語(バビロン虜囚時代の名残り)を使っていたのでこの札を見ても読めませんでした。祭司長たちは気づいていながら(あるいは本当に気づいていなかったのかもしれませんが)、神の名によって遣わされた御子を十字架にかけたのでした。
Joh 14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
The Epitaph on the Cross of Yeshua より
http://xwalk.ca/yhwh.html
おしまい。
聖書に書かれた死者の魂の行方
▽聖書には、人が死ぬと陰府(黄泉、ハデス)へ下ることが何度も書かれています。
Gen 37:35 子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。
Gen 42:38 ヤコブは言った、「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」。
Gen 44:29 もしおまえたちがこの子をもわたしから取って行って、彼が災に会えば、おまえたちは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう』。
Gen 44:31 この子供がわれわれと一緒にいないのを見たら、父は死ぬでしょう。そうすればしもべらは、あなたのしもべであるしらがの父を悲しんで陰府に下らせることになるでしょう。
Num 16:30 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。
1Sa 2:6 主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。
2Sa 22:6 陰府の綱はわたしをとりかこみ、死のわなはわたしに、たち向かった。
1Ki 2:6 それゆえ、あなたの知恵にしたがって事を行い、彼のしらがを安らかに陰府に下らせてはならない。
1Ki 2:9 しかし彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人であるから、彼になすべき事を知っている。あなたは彼のしらがを血に染めて陰府に下らせなければならない」。
Job 7:9 雲が消えて、なくなるように、陰府に下る者は上がって来ることがない。
Job 21:13 その日をさいわいに過ごし、安らかに陰府にくだる。
▽陰府とはどんな場所なのか?それは滅びの穴であるようです。
Job 26:6 神の前では陰府も裸である。滅びの穴もおおい隠すものはない。
陰府は広い
Hab 2:5 また、酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼の欲は陰府のように広い。彼は死のようであって、飽くことなく、万国をおのれに集め、万民をおのれのものとしてつどわせる」
▽陰府では死者が眠っている
Job 14:10 しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。
Job 14:11 水が湖から消え、川がかれて、かわくように、
Job 14:12 人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない。
Job 14:13 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。
Job 14:14 人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。
Job 14:15 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。
Job 14:16 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。
Psa 6:5 死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか。
sa 139:8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
Ecc 9:5 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
Ecc 9:6 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。
Ecc 9:8 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。
Ecc 9:9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。
Ecc 9:10 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
▽死んだ人々をよみがえらせる時に、イエス様は眠っているのだといいました。
Luk 8:52 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。
Joh 11:11 そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。
Joh 11:12 すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
Joh 11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
Joh 11:14 するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。
▽死後も意識があるという説に用いられるイエスのたとえ話
ルカ16:19-31は死後も意識があるという根拠に使われる箇所ですが、聖書の他の箇所と相いれないここにしかでてこない概念が語られています。それはここでイエス様は真理を語っているのではなく、それがたとえ話だからです。
ここを持ち出してきて死後の話をする自称クリスチャンには注意された方がいいでしょう。全くわかってないか、わかった上で誤りに導いているかのどちらかです。
ルカ16:19-31
Luk 16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
Luk 16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
Luk 16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
Luk 16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
Luk 16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
Luk 16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
Luk 16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
Luk 16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
Luk 16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
Luk 16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
Luk 16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
Luk 16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
Luk 16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
これは金持ちとラザロの話は神を頼みとせず、アブラハムの子孫であることを頼みとするパリサイ人と律法学者に向けて語られたたとえ話です。
神ではなくアブラハムを頼ってる金持ち → 自分たちはアブラハムの子孫であると豪語するパリサイ人・律法学者
ラザロ → パリサイ人・律法学者が忌み嫌って蔑んでいた人々
イエス様はパリサイ人まで救おうとされていたことがわかります。
ある金持ちが~
こう切り出してるときはたとえ話です。
Luk 15:11 ある人に~
Luk 16:1 ある金持ちの~
そんでもって
Luk 16:14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。
▽それから陰府について調べていると福音が書かれていたのでついでに載せておきます。
Psa 16:8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
Psa 16:9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
Psa 16:10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
Psa 16:11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
Psa 30:3 主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
Psa 49:15 しかし神はわたしを受けられるゆえ、わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。
Psa 86:13 わたしに示されたあなたのいつくしみは大きく、わが魂を陰府の深い所から助け出されたからです。
Hos 13:14 わたしは彼らを陰府の力から、あがなうことがあろうか。彼らを死から、あがなうことがあろうか。死よ、おまえの災はどこにあるのか。陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。あわれみは、わたしの目から隠されている。
Act 2:27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。
※ところで、面白い事に口語訳聖書では 旧約→陰府 新約→黄泉
となっていて、旧約には黄泉という言葉がなく、新約には陰府という言葉がありません。どちらも「よみ」です。何故なんでしょうか?訳者の意図がわかりませんね。
わけわからなくなるのでハデスと呼ぶことにしましょう。
▽死者はいずれハデスの眠りから覚めるときが来ます。
1Th 4:13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
1Th 4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
1Th 4:15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
1Th 4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
1Th 4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
1Co 15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
1Co 15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
1Co 15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
Joh 5:24 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
Joh 5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
Joh 5:26 それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。
Joh 5:27 そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
Joh 5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
Joh 5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
▽義人はいません。イエスキリストを信じる信仰によって義人とされます。
Rom 5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
▽また善人も、悪人も甦りますが、悪人の復活は裁きを受けるための復活です。
それぞれ第一の復活、第二の復活として黙示録に記されています。
黙示録20章
Rev 20:4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
Rev 20:5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
Rev 20:6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。
Rev 20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
Rev 20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
Rev 20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
Rev 20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
第二の死とは、魂の死(永遠の死)のことです。
▽この第二の死にあずかる人たちはどのような人々でしょうか?
Rev 21:8 しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
▽その他、死者に関する聖句
Dan 12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
Isa 26:19 あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ、さめて喜びうたえ。あなたの露は光の露であって、それを亡霊の国の上に降らされるからである。
Mat 16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
Mat 16:27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう
Mal 4:1 万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。
すべての人は一度は必ず死にます。
しかしイエスの救いを信じる善人は二度死ぬことはありません。
▽さらに、「わたしはすぐにくる。」というイエスの言葉が死とは無意識状態であることを物語っています。
Mat 26:63 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
Mat 26:64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
イエスと一緒に十字架刑を受けている死刑囚に対して、
Luk 23:42 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
Luk 23:43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
Heb 10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。
Rev 2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
Rev 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
Rev 22:7 見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
Rev 22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
つまり5000年前に死んだ人にとっても、さっき死んだ人にとっても、悪人だろうと善人だろうとどんなに遅くなったとしても、皆さんが死んで眠って起きる時にはすぐです!(再臨、あるいは裁きの時)ってことですね。
すべての眠りについた人に対して体感は死後すぐであることがわかります。
だから今日死ぬ死刑囚にはきょう(死の眠りにつき、目覚める頃には)パラダイスにいるであろう。と語られたのです。
神様は嘘はつかれません。神様が今日だと言ったら今日なのです。
なんだかさっさと死にたくなってきましたね(笑)。でも神様はあなたが自殺することは望まれないでしょう。不従順はいけません!
力を尽くし、心を尽くして主なる神を愛してください。隣人を愛してください。
アァメン!
Rev 1:17-18
「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。」
おわり
魂と携挙(ラプチャー)の話
キリスト教会の教えには携挙(ラプチャー)という聖書から導き出された概念があり、それは地上の悪に神の裁きが下る最後の7年間のある時点、またはその直前でキリスト者が天にあげられ、悪人と同じ目に遭うことがなくなるというものです。
ラプチャーという言葉自体は聖書にはありません。
携挙はしばしばキリストとの結婚にたとえられています。なぜでしょうか?
まず聖書に書かれている魂の仕組みについて考察してみます。
創世記でヒビびとシケムがヤコブの娘デナをはずかしめました。
Gen 34:3 彼は深くヤコブの娘デナを慕い、この娘を愛して、ねんごろに娘に語った。
とありますが、ここは原語では「魂がくっついた」と書かれているそうです。
結婚するときの「二人の者は一つとなり~」というのと同じです。
Gen 2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
Mat 19:6 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。
これは肉体のことではなく魂のことを言ってるのですね。
結婚は肉的には子供を残すためぐらいに思われていますが、霊的には魂の一体化が起こっているということです。
コリント人への手紙Iの中ではこのように書かれています。
1Co 6:16 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
これは霊のからだについて書かれているのです。
なぜならそのすぐ後に、
1Co 6:17 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
と書かれていて、神は霊であるので、これが肉の話ではないことがわかります。
神が姦淫を禁止されるのは、次々と魂がくっついていくからです。
悪魔と姦淫してくっついた人は一時的には成功しても徐々に活力が奪われていきます。
また、自分はちょっと一回遊んだだけ、とか思っていても、相手次第では120体合体!!とかになってるわけですね。
悔い改めないとそのまま地獄へ直行……なのでしょうか!?
エゼキエル書にはこう書かれています。
Eze 18:4 …… 罪を犯した魂は必ず死ぬ。
ここは口語訳では「魂」が「死ぬ」となってますが他の訳ではよくわからない表現でごまかされています。
原語に忠実に訳されているとされるKJVやDerby訳では
the soul that sinneth, it shall die.
となっており、魂が必ず死ぬとなっています。
この世に数多くある体は死んでも魂は生きていると言いはってる宗教は聖書的には間違いということですね。
これはまた創世記でサタンの言った伝統と格式のある使い古された嘘です。
サタンは聖書で神がやってはいけないと書いていることすべてを人にやらせようとします。
Gen 3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
VS
Eze 18:20 罪を犯す魂は死ぬ。(二回目)……
さて、あなたは一体どちらを信じますか?
イエスキリストは自分はいのちであるとかパンであるとか泉であるとか言いました。
自分を食べなさいと言ってました。
人は罪によって神から離れたために、死ぬものと定められました。
つまり、魂を神とくっつけることによって、人の魂は永遠と一体となれるのです。
Joh 6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
Joh 6:48 わたしは命のパンである。
Joh 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
Joh 6:50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
Joh 6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
Joh 6:52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。
Joh 6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
Joh 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
Joh 6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
Joh 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
Joh 6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
Joh 6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
神は電源であり、人はスマホです。電源から離れたスマホはいずれ停止します。
また再びつながるなら、生きることができるのです。
またたとえるなら神は大地であり、人は木です。木というのは条件がよければ寿命は無限と言われてますね。
大地から抜き去られない限り、死ぬことはなくなるのです。
これが、先のたとえ話の意味です。
このたとえを理解できなかったユダヤ人たちは、つまずいてしまいました。
神は完全な方であり、罪と一体となることはありえません。
エデンからアダム(人:地のちりすなわちアダマーから作られたのでアダム)が追い出されたのはこのためでした。神はアダムに言われました。
Gen 3:19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
またサタンもまたエネルギー源である天の神から離れ去り、地のちり(アダマー)を食べないといけなくなりました。
つまりサタンは文字通り人の魂を食べるのです。
悪魔が人と契約して代償に魂を奪うというのはネタではないのです。
ちなみに、詩編78編では、出エジプト記でユダヤ人たちが食べた天使のパン=マナのことをうたってますが、天使もパンを食べてるんですね。
詩編78編
Psa 78:23 しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、
Psa 78:24 彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。
Psa 78:25 人は天使のパンを食べた。神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。
サタンが執拗に人を罪へと誘惑する理由の一つはここにあります。おそらく神に反逆した瞬間に天のパンの支給を止められたのでしょう。創世記でへびが人を欺いたときに、神は原福音とよばれる宣告をへびに対して行いました(創世記3:15 女の子孫がサタンを倒すという預言)。もしサタンがこれを阻止したければ、即座に女を殺せばよかったわけですが、そうしませんでした。神が豊かな収穫を求めて人に「地に満ちよ。」と言われたのと同様にサタンも食べるために人を増やさなければならなくなっていたと考えられます。
さらにいうと彼らは罪を犯さない人を神の許可なく害する権限は与えられていないようです。人を誘惑して罪を犯した者だけを食べちゃってたわけですね。サタンが天の御使いに勝てないのもこのせいでしょう。
天の御使いは天の神からの無限のエネルギーを使って戦えますが、サタンの使える力は有限(人の魂から奪ったエネルギー)なのです。
いつも通り話が逸れましたが、人は罪を犯して神から切り離され、罪の対価である死を支払わなければならなくなりました。しかし、イエス・キリストが罪なくしてその死という対価を支払い、神と人との仲保者となってくださいました。
三位一体の子なる神であるイエスキリストとの結婚により父なる神と魂が繋がることで、人は死から解放され、永遠へと至るのです。
図にするとこんな感じですね。
┏━━人
神━キリスト━━━人
┗━━人
ん?この図、何かに似ていますね。そう、メノラーです。
ユダヤ教の象徴ですね。
さて、携挙はいつ起きるのでしょうか?
聖書を研究する人たちには携挙は起きないという人もいれば、それは7年の艱難の前であるという人もいるし、それは艱難中期であるという人もいます。また別の人は再臨の時に携挙が起きるといってます。
携挙を根拠となっているいくつかの聖句を並べてみましょう。
第一テサロニケ4
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
マタイ22章1~14節に結婚式のたとえがあります。
Mat 22:1 イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
Mat 22:2 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
Mat 22:3 王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
Mat 22:4 そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
Mat 22:5 しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
Mat 22:6 またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
Mat 22:7 そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
Mat 22:8 それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
Mat 22:9 だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
Mat 22:10 そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
Mat 22:11 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
Mat 22:12 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
Mat 22:13 そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
Mat 22:14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
この王は父なる神であり、王子は主イエス・キリスト、招かれていた人たちはユダヤ人でしたが預言者たちを殺して招きに応じませんでした。
大通りで出会った人は誰でも婚宴に連れてきなさいとはすべての異邦人へ福音が伝えられることを示しています。
福音を聞いた人がもしこの招きに応じて礼服(白い衣)を整えるなら、地上のかつてない暗闇の日に婚宴に参加し、外に放り出されることはないのです。
こちらもそれっぽい聖句です。
Isa 57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、
Isa 57:2 平安に入るからである。すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。
黙示録4章には教会時代(黙示録2~3章)の直後に4章1節の「その後」とあり「ここに上ってきなさい。」という言葉が続いています。
これを艱難の前の教会時代の終わりに携挙があるという根拠とみなすことができます。
Rev 4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
ちなみに、黙示録11:12でも同じように天からの「ここに上ってきなさい」の声で大艱難時代に活躍する二人の預言者が雲に乗って天に上げられます。(第一テサロニケ4章の説明と同じですね)
Rev 11:12 その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
それから、ユダヤ教の結婚式の伝統では新郎新婦が7日間、bridal chamber(結婚式場のベッドルーム)に隠されます。
Pattern is Prologue: The Rapture, Part 2: The Wedding Model - Chuck Missler - Koinonia House
http://www.khouse.org/articles/2003/449/
これと同様にキリストの花嫁(キリストを信じて衣を白くした人たち)は7年間の大艱難から隠されるのです。地の塩となっていたこれらの人達が取り去られることで地上の悪が加速していき、悪は自らを裁きます。
ちなみに結婚の宴会に招かれた客は7日間花婿の父の家に滞在するようです。
この教えは決して不健全なものではなく、これを心から信じる人たちはキリストの花嫁となるため、あるいは大患難を免れるために自ら進んで悪から離れ、身を聖くするよう努めるようになります。これは必ずなります。
物欲、性欲、名誉欲、怒り、ねたみ、憎しみ、恐怖、あらゆる肉の思いがどんどん消えて、喜びと平安とが増していくのを体験します。
聖霊が働いてくださるのでしょう。
大患難はヤコブの悩みのときであり、その目的は地上の悪を裁くだけでなく、キリストを受け入れなかった神の民、ユダヤ人たちへの救いのためであり、艱難の前に衣を白くしたキリスト者には本来不必要な7年間なのです。
新約聖書の中でイエス様や使徒たちが再三悪を離れて善を行い、いつも神に祈りをささげ、魂を聖くして白い衣を着なさいと勧めているのはこの恵みに与るためなのです。
もし、艱難前の携挙がないのであればマタイ24、25章の以下のようなたとえ話はされなかったでしょう。
Mat 24:40 そのとき、畑ふたりといると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
Mat 24:41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
Mat 24:42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
Mat 24:43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
Mat 24:44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
Mat 24:45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
Mat 24:46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
Mat 24:47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
Mat 24:48 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
Mat 24:49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
Mat 24:50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
Mat 24:51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
Mat 25:1 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
Mat 25:2 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
Mat 25:3 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
Mat 25:4 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
Mat 25:5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
Mat 25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
Mat 25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
Mat 25:8 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
Mat 25:9 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
Mat 25:10 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
Mat 25:11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
Mat 25:12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
Mat 25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
油は聖霊によって注がれます。
油がなければ子羊の花嫁となることはできません。
だから「聖霊をけがす言葉は、赦されることはない」のです。
Mat 12:31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
携挙の時はいなずまのように、盗賊のようにくることが書かれています。
おそらく、とり残された人たちにはそばにいた人がただ突然死んだようにしか見えないでしょう。
マタイ24
Mat 24:26 だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
Mat 24:27 ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
Mat 24:28 死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
携挙に預かる人は肉の体(死体)を残して魂が天へと昇っていくようです。
↓対して艱難中軽挙説を唱える人たちは以下のような点をあげています。
終末の大患難時代と携挙について、ひな型(予型)となる事件が、AD70年のエルサレム陥落です。実のところ、
イエスは弟子たちにエルサレム崩壊の預言を告げる中で、終末の出来事にまで言及し、
上記の携挙の預言を述べているのだ(マタイ24章)。その中でイエスは次のように語っている。
マタイ24:
15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
エルサレムがローマ軍に包囲された時、エルサレムにいたクリスチャン(ユダヤ人原始キリスト教徒)たちは、この預言に従い、エルサレムを脱出してヨルダン川東岸の町ペラに逃げた。
このため、この後ローマ軍がエルサレムに突入して神殿と街を破壊し、ユダヤ人たちを殺戮した時、彼らだけは無事生き延びることができたのである。
これは、終末に地上を襲う大患難時代の前に、クリスチャンたちが地上を脱出して天に挙げられ、助かることの予型だとされる。
という主張がありますが、これはむしろ艱難時代のイスラエル人たちに向けた警告ではないかと思われます。
荒らす憎むべき者は7年間の艱難の真中に現れるためです。また、前回見たようにユダヤ人たちは山(ぺトラ)に逃げることが預言されています。
さらにこの場合先に取りあげたユダヤ教の結婚式の慣習などと一致しなくなります。
なので私としては携挙があるとすれば艱難期の始まる直前であるという結論が自然な回答だろうと思います。
終わりの日は間近に迫っていると思われます。取り残されて艱難を通ることのないように、日々祈りながら正しく生きましょう。
Rev 19:7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
Rev 19:8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
Rev 19:9 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
おわり。
黙示録あらすじ
ダニエル書と黙示録の終末預言 の続きです。
注)時々新情報を追加してます。20171205更新。大体完成!
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追記※黙示録とダニエル書は関係あるんだ~と書いてきましたが、どうも黙示録というのは旧約聖書にバラバラに書かれている終末預言を時系列順に並べたものであるようです。旧約預言書の知識がないと、読んでも意味がわからないんですね~。
旧約聖書の終末預言の解釈法は以下にまとめてあります。
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日本語の題名は「ヨハネの黙示録」となってますが内容は神がキリストに与えた預言を使徒ヨハネに伝えたものとなってます。
Rev 1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
<第一章>では使徒ヨハネが島流しされたパトモスという島で啓示を受けるシーンから始まり、啓示を書き留めるように言われます。
紀元69~79年の間のことでした。(皇帝ヴェスパシアヌスの時代)
Rev 1:19 そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。
<第二章>、<第三章>はその後に続くキリスト教会の歩みを示していると言われてます。参考動画 Jon Corson牧師の聖書解説(リストの52番目~)
サーチライト with Jon Courson
https://www.youtube.com/playlist?list=PLcY-lJmbXjHxpD2SRTiSPA_1km_9jQIcB
<第四章>、<第五章>は天の御坐の様子が書かれています。
Rev 4:1 その後、
とあるので四章から先が教会時代の後であることがわかります。
この「その後」(メタ・タルタ)という言葉は何度も出てきますが、これによって黙示録の時系列を知ることができます。
ここで面白いのは地上には存在しないよくわからない生き物がいることです。
Rev 4:7 第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。
Rev 4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
たぶん御使いの一種なんでしょうが、我々は天使というと頭に光る輪っかがついて羽の生えた人をイメージしがちですが、実際はこういうわけのわからない形容しがたい生き物も含まれるのでしょう。
サタンは龍とか蛇と言われてますが、本当に龍や蛇のような姿をしてるのかもしれません。
ヨブ記 41章には口語訳でわに(原語レビヤタン)と訳された神の最高傑作である強靭な生き物について書かれていますがイザヤ書ではこれがへびとして登場します。
このレビヤタンというのが種として分類した時のサタンなんでしょうかね。
Job 41:1 あなたはつり針でわに(わにではなく、ヘブル語レビヤタン)をつり出すことができるか。糸でその舌を押えることができるか。
-------途中全部略(読めばわかりますがどう見てもわにではないです)-------
Job 41:34 これはすべての高き者をさげすみ、すべての誇り高ぶる者の王である」。
Isa 27:1 その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。
また黙示録五章には七つの封印を施された巻物がでてきます。これは地球の土地権利書のようなものであるといわれてます。
アダムの罪によって人間からサタンに移った支配権がキリストの十字架によって買い戻されたのでした。地権者となった子羊イエス・キリストがこの封印を解くことによって、地の清めがはじまるのです。
この終わりはいつ来るのでしょう?マタイ24章にはこうあります。
Mat 24:14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
キリストの福音が全世界に伝えられてからということですね。一度もキリストが述べ伝えられたことのない国は、もう地上にはないんじゃないかと思います。
<携挙、ラプチャーの発生>
聖書に啓示されている七年の大艱難時代への突入にあたり、まず携挙(ラプチャー)が発生します。携挙とは大艱難時代の直前に福音を本当に信じている信者が天に上げられて大艱難時代の災害から守られるという現象です。携挙のタイミングについては諸説ありますが、当ブログでは他の終末預言箇所や、現在の世界情勢との整合性を考えた結果大艱難時代の直前に起きると結論付けました。携挙は大艱難時代の第二の封印の成就に直結するトリガーともなっていると考えられます。携挙によって最も多く信者があげられるだろうと考えられる国がキリスト教国であるアメリカ合衆国だからです。アメリカ合衆国は現在圧倒的な軍事力で世界の諸勢力をとどめている世界の警察を自負する国です。兵隊が消えたら、最新兵器もハリボテです。このアメリカ軍の恒久的あるいは一時的な無力化によって地上から平和が取り去られるわけです。(黙示録6:4)
たとえが悪いですが野良猫を駆除したら、ねずみがはびこるようになるわけです。
ちなみに、ヨーロッパはキリスト教国を名乗っていますが、どうも最近のヨーロッパのクリスチャンは神なんて信じていないようです。ラプチャーはヨーロッパには影響が少ないと思われます。以下は各国の無神論者の比率を示すデータ図ですが、ヨーロッパの無神論者の比率は高めです。この図の中で、低比率かつキリスト教国の国がラプチャーによって混乱に陥ると思われます。主に南北アメリカ大陸ですね。日本ェ・・・。
関連聖句は主に第一テサロニケ4:13-18,イザヤ26:19-21,第一コリント15:51-52、黙示録3:10などです。携挙の概念は聖書全体を把握しないと理解するのは難しいでしょう。
携挙の詳細については↓↓↓
アメリカ人クリスチャンの携挙が終末のトリガーとなる
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2017/02/27/203503
<黙示録六~八章>は七つの封印が解かれていく様子が書かれています。ざーっとみていきましょう。
第一の封印
白い馬に乗った弓を持った人物が現れ、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけていきます。彼は前回説明した来るべき君主、反キリストです。この人物のかぶる冠を表すギリシャ語は STEPHANOS であり、これはオリンピックの優勝者などに与えられるオリーブ冠や月桂冠のような木で編んだ冠のことです。
これは彼が一時的な王であることを示しています。
ちなみに王がかぶる冠は DIADEM です。
彼ははじめは中東に平和をもたらす人気者として現れるでしょう。
第二の封印 赤い馬に乗った剣をもった人物が現れます。 戦争が起こります。
おそらくエゼキエル38章のゴグマゴグ戦争とそれに付随する戦乱です。
↓↓これ(エゼキエル38章預言と黙示録6:4)が同じものだと考えるに至った経緯
第三の封印 黒い馬に乗った秤をもった人物が現れます。
戦争に続いて飢饉が発生します。
ただし、「オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」
とあるように金持ちは影響をうけません。
第四の封印 青白い馬に乗った人物が現れます。
その人の名は「死」でありこの人物に黄泉が続きます。
多くの人が死ぬことが示されています。
世界の4分の1を支配する国が現れます。
詳しくは↓
黙示録第四の封印とEUとニュー・ワールド・オーダー
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/09/25/202158
第五の封印 信仰を告白して殺された人々が天で白い衣を与えられます。
第六の封印 大地震が起こり、太陽は黒く、月は赤くなり、星が地に落ちます。
王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、
ほら穴や山の岩かげに、身を隠します。
このことは聖書の他の記者たちも書いています。
Joe 2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。
Act 2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
ここでまだ七つ目の封印が残されていますが、「この後」が出てきました。
Rev 7:1 この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
Rev 7:2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
Rev 7:3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
これらの御使いは風を止めたり地と海と木を損なう力をもつ強力な御使いのようです。
(追記:ここで象徴的に使われている風とは災害をもたらす御使い達のことのようです。つまり悪霊ですね。
ヘブル書1:7にはこうあります。
Heb 1:7 また、御使たちについては、「神は、御使たちを風とし、ご自分に仕える者たちを炎とされる」
追記終わり)
地の四隅ってどこだろうと思いましたが たぶんこんな感じでしょう
○=地球
・
・○・←御使い
・
イスラエル12部族の144000人に神の印が押されます。
次に天の御坐に異邦人の大勢の群衆が現れ、神を賛美します。
彼らはイエスの救いを信じて大きな患難をとおってきた人たちです。
第七の封印
第七の封印が解かれると七人の御使に七つのラッパが与えられます。
御使いが聖徒たちの祈りのこもった香炉を投げると多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起こります。
封印が解かれて終わるかと思いきやラッパの裁きが始まります。何度も繰り返し災害で地上を撃たれるところがサタンと人類の罪の深さを物語っています。
また、何度も繰り返すことで人々が悔い改めて神へ立ち返るための機会を与えておられるのです。ほおっておいたらいずれ死んでしまう魂ですからね。
平和な日本を見ているとよくわかりますが、災いが全く起きずに恵みだけが毎日降り注いでいたら、誰も神の救いの必要性など感じません。
第一のラッパ
血の混じった雹と火とが地上に降り注ぐ。地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、すべての青草も焼けます。
第二のラッパ
燃えさかる大きな山が海に投げ込まれる。
海の三分の一が血となり、海の生き物の三分の一が死に、舟の三分の一が壊されます。
これは、大西洋の火山島、ラ・パルマ島の爆発とそれに伴う災害です。
第三のラッパ
「苦よもぎ」という名のたいまつのように燃える大きな星が落ちてくる。
川の三分の一とその水源が苦くなり、多くの人が死にます。
この部分はチェルノブイリとの関連性を言ってる人がいますが、たぶん関係ないです。
第四のラッパ
太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれた。世界が暗くなります。
Rev 8:13 また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。
参考:↓三つの「わざわい」について
エレミヤ50、51章 バビロンに下る「わざわい」
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/10/31/003720
第五のラッパ(第一のわざわい)ゾンビ災害
Rev 9:1 第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
この星とは御使いのことです。もっとも堕天使(=悪魔)の方だと言われていますが。
この悪魔には「底知れぬところ」の鍵が与えられます。第五、第六のラッパのわざわいは悪魔・悪霊によるものです。
聖書のいくつかの箇所にこの「底知れぬところ」を理解する鍵があります
ルカ8章
Luk 8:31 悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。
第二ペテロ二章
2Pe 2:4 神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
2Pe 2:5 また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
Jud 1:6 主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。
Rom 10:7 また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。
2Pe 2:15 彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、
2Pe 2:16 そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。
2Pe 2:17 この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。
これらの聖句から、「底知れぬところ」とは神に従わない御使いや人々の投げ込まれる真っ暗な牢獄である事がわかります。
いわゆる一般的に地獄と理解される所ですね。(ただし聖書で語られる永遠の刑罰が行われる火の池=ゲヘナとは別です。)
この地獄の門が開かれることによって、ノアの時代に世界を暴虐で満たした最もタチの悪い、強力な悪魔たちが解き放たれます。
彼らはイナゴの姿で現れ、まず5か月の間人々を苦しめ続けます。人は死にたいと願っても、その霊が肉から離れなくなります。
(追記171009
第五のラッパは悪霊によるゾンビ災害です。ゼカリヤ14:12が関連聖句です。この聖句は前後に終末預言を示すキーワードである「その日」が乱発されている終末預言個所です。ついでに黙示録の三つのわざわいを示す「わざわい」のキーワードも含んでいます。
Zec 14:12 エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
↓↓根拠など詳しくはこちらにまとめてます。
黙示録を扱ってる映画紹介
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/10/21/000947
追記終わり)
イナゴが悪霊であるという解釈の根拠については以下の記事をご覧ください。
聖書預言解釈についてのまとめ
このイナゴたちにはアバドンという王がいて、その名はヘブライ語で「破壊の場」「滅ぼす者」「奈落の底」を意味します。
Rev 9:12 第一のわざわいは、過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。
第六のラッパ(第二のわざわい)
人間の三分の一を殺すために、ユーフラテス川につながれた四人の御使いが解き放たれます。神は罪のないものを繋いだりしませんから、これも悪魔であると考えられます。
(追記:世界を色分けし、人々を滅びに導く4人の超人リーダーが現れます。たぶん。
黙示録の色は赤=火 青=海 黄=地 緑=木 で表される地上の4つの勢力を表しています。黙示録9:17の赤と青と黄色の胸当てはこの色に対応していると考えられます。これは異教勢力が崇めている4人の堕天使であり、世界の国旗に使われている色です。ちゃんと根拠もあるんですよ~。下記参考記事を参考に~。
<4人のリーダー予想>
マフディー?(緑色) イスラム諸国への惑わし 黙示録には記載なし 偽メシア1号
獣(青色) ヨーロッパへの惑わし 俗に言う反キリスト 偽メシア2号
偽預言者(黄色) 世界の宗教者への惑わし
龍(赤色) 東アジアへの惑わし 偽メシア3号
マタイ24章でこんなことが預言されていましたね。つまりそういうことです。
Mat 24:4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
Mat 24:5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
彼らは暗闇の世界で星のように輝くでしょう。しかし、星が輝けるのは夜が明けるまでの話です。 使徒パウロはテサロニケ人への第二の手紙の中で、終わりの時に現れる不法の者について語っています。
第二テサロニケ2章
2Th 2:8 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
2Th 2:9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
2Th 2:10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
2Th 2:11 そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
2Th 2:12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
その他詳しい話は参考記事で!
黙示録の預言と色の話 その2
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2017/04/15/194606
黙示録の預言と色の話
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2017/02/25/212647
獣の国と龍の国
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2017/11/09/015148
第二コリント11章
2Co 11:14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
2Co 11:15 だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
追記おわり)
Rev 9:16 騎兵隊の数は二億であった。わたしはその数を聞いた。
聖書では馬は戦争の道具を意味しています。2億の軍勢はおそらく非イスラム世界の連合軍です。この騎兵隊は赤と青と黄色の胸当てをつけていました。ルーマニアとかの旗ですね。この軍団が人間の三分の一を殺します。
追記:いろいろ調べた結果、第六のラッパはイスラム諸国と獣の国(というか非イスラム世界全部)との戦争みたいです。以下、第六のラッパについての考察記事↓
第六のラッパと最後のジハード
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/09/29/005639
ダニエル11:40 南の国、イスラム統一国家について
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/10/09/205718
エゼキエル30章 やっぱり イスラム vs NWO
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/10/29/002124
生き残った人々はこれらのわざわいを受けても罪から離れず、自分を痛めつけている悪霊を礼拝します。これはひどい。
次に手に開かれた巻物を持った天からの強い御使いが大声で叫びます。彼が叫ぶと7つの雷が声を発します。
この声は封印されているのでわかりません。
Rev 10:7 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
ヨハネは巻物をもらって食べます。
10章は意味わからないですね。
Rev 10:11 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。
この後はこれらの時代の人々の詳細を語るということでしょうか?そんな感じです。
<第十一章>
ヨハネにはかりざおが与えられ神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々を測ります。
外の庭は外国人に与えられ42か月間(1260日)荒らされるようです。
神の二人の証人が荒布を着て1260日の間預言します。
この二人は口から火を吐いて敵を殺します。誰も邪魔はできません。
Rev 11:6 預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
Rev 11:7 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
彼らは役目を終えると底知れぬ所からのぼってくる獣と戦って殺されます。
全地の人々はエルサレムでさらされている死体を見物し、祝います。
TVやネットが現れる前の時代には三日半で全世界の人がこの死体を見るなんて不可能だと言われていましたが、今や可能になりました。
三日半の後に、彼らは蘇り、天に上げられます。人々は天から「ここに上ってきなさい」という声がするのを聞きます。
このとき、大地震が起こり、七千人が死に、生き残った人々は恐れて天の神に栄光を帰します。
二人の預言者はエリヤとモーセであるといわれています。
彼らの行う奇跡が同じだからです。
あるいはエリヤとモーセに力を貸した御使いがこの二人の預言者に力を貸すと考えることもできます。まあどっちでもいいんですが。
Rev 11:14 第二のわざわいは、過ぎ去った。見よ、第三のわざわいがすぐに来る。
とあるのでこれらが第二のわざわい(第六のラッパ)の期間に起こることであるとわかります。
第七のラッパ(第三のわざわい)
Rev 11:15 第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。
サタンの世が終わりを告げ、神の国が始まり地を滅ぼす者たちを滅ぼす時がきました。
Rev 11:19 そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
Rev 12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
この女はイスラエルの家です。太陽というのはイスラエル12部族の父ヤコブ、月というのは母(レア?)、十ニの星というのはイスラエルの十二部族を示しています。(創世記37章のヨセフの夢を参照)
また、七つの頭と十の角があり、七つの冠をかぶった赤い龍が現れ、星の三分の一を地に投げ落として女の子供を食い尽くそうとします。
女は男の子を産み、鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者であるこの子は神のみもとに引き上げられます。
女は荒野へ逃げて1260日のあいだ養われます。
この章はよくわからないですが、先の章で神によるわざわいだと気づいた悪人たちが神の民イスラエルを攻撃するようになるのでしょう。
イスラエルの人々は自然の要害となっているぺトラの遺跡に逃げるのだと言われています。
天ではミカエルと御使いたちが龍とその使いたちと戦います。
龍は天から追い出され地に投げ落とされます。
ダニエル書によると、ミカエルは天使の長のひとりであり、イスラエルの守護天使であることが書かれています。
龍は激しい怒りをもって地と海とに向かってきます。
ここは通説では地はイスラエル、海は異邦人を意味するそうですが、これは間違いです。イスラエルは既に女で示されているので、第六のラッパの箇所で書いたように、4つの勢力の二つ(地=黄色勢力と海=青色勢力)であると考えられます。つまり獣と龍の対立が起きるようです。龍=赤色勢力は女(=イスラエル)を追いますが、女はわしの翼を与えられ、3年半(1260日)の間養われます。女は守られます。
ここはさっきの繰り返しですね。
龍は女の残りの子ら、イエスのあかしを持つ人々に戦いを挑むためにでていきます。
<第十三章>
この章は海から上がってくる獣、反キリストについての説明です。
それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついています。
七つの頭については前回の記事 ダニエル書と黙示録の終末預言 を参考にしてください。
十の角は十の国家権力を表しています。世界を統治する終わりの日の十か国連合です。
ちなみにこの連合国のうちの3つは反キリストによって滅ぼされることがダニエル書に預言されています。
Dan 7:7 その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。
Dan 7:8 わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。
Dan 7:24 十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。
Rev 13:2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
この獣はダニエル書に出てきた過去の大国の残党が立てた人物であることがわかります。ひょうはギリシャ、くまはメド・ペルシャ、ししはバビロンでした。これに龍の権威が加わります。
Rev 13:3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。
彼はテロか何かで傷を負います。
前回も載せましたがこの詳細がゼカリヤ書に預言されています。
Zec 11:17 その羊の群れを捨てる愚かな牧者はわざわいだ。どうか、つるぎがその腕を撃ち、その右の目を撃つように。その腕は全く衰え、その右の目は全く見えなくなるように」。
人々は龍と獣を恐れて拝みます。「だれが、これと戦うことができようか。」
Rev 13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
また42か月(1260日)です。7年の期間の後半ですね。
神の二人の証人が7年の前半に現れて、入れ替わりに獣が台頭してくるということでしょう。たぶん。
獣はイスラエルとクリスチャンを迫害します。
Rev 13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
また別の獣が地から上ってきます。この獣は獣の国の宗教的指導者、偽預言者です。
いかにも聖職者らしい姿をして現れることでしょうが、それは偽りの姿であり、その本質は邪悪です。
この偽預言者は反キリストを拝ませ、その像を作らせ、数多くの奇跡を行います。
獣を拝まない者はみな殺され、666の獣の刻印を受けない者たちは売り買いができなくなります。
この刻印は黙示録の研究を行っている人たちに生体バーコードだとか、マイクロチップだとかいろいろ予想されています。
以下は獣の刻印についての考察↓
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/08/19/184757
なんだかどろどろした章ですが、キリスト教圏の人が13を嫌うのはここからかな?
よく見ると天のことが書かれている章は7の倍数になってますね。
偶然だぞ!!偶然!
<第十四章>
天に上げられた人々が賛美します。
御使いが地上のあらゆる人々に永遠の福音を伝えます。
バビロンの崩壊と獣の刻印を受けた者への罰が告知されます。
『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』
御使いが収穫を始めます。
マタイ13:30にあるように
「まず毒麦(悪人)を集めて束にして焼き、麦(善人)の方は集めて倉(天)に入れます。」
イザヤ書63章1~6節、イザヤ書34章5~6節、9節、およびヨハネの黙示録19章13~16節と呼応しており、ここでもエドムやボツラでイスラエルの民を追ってきた国々の民に裁きが行われることが書かれています。イスラエルの民が艱難期に逃げ込む場所がボツラ(ぺトラ)であるという理由の一つはこのためです。反キリストの大軍によってぺトラの山地で絶体絶命の窮地に追い込まれたイスラエルの民はついに神の名を呼び求めます。ユダヤ人がイエスの名を呼び求める時、ついにイエスが地上に再臨します。
人が神を呼び求めるのは、やっぱり手も足も出なくなった時なんですね。
ホセア5:15
彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。
マタイ23:39
『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、
あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。
Rev 1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
神の民を追ってきた諸国の軍隊はキリストによって裁かれ、1600スタディオンに渡って血の海となります。1600スタディオンという距離は約300㎞になります。
参考リンク
ボツラにおける主の復讐 - 牧師の書斎
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%83%9C%E3%83%84%E3%83%A9%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%B8%BB%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%AE%90
<第十五章>
御使いが最後の七つの災害(七つの鉢の災害)を携えてきます。
ここらへん(14章~19章)、時系列が混乱しますが、鉢の裁き→バビロン崩壊→ボツラでの再臨→オリーブ山→千年王国へ という流れが一番つじつまが合う解釈だと思います。いずれにせよエゼキエル38章戦争から指折り7年数えていけば預言が成就した時にはわかるでしょう。
第一の鉢
獣の刻印を受けて獣の像を拝んだ人々に、悪性の腫瘍ができます。
第二の鉢
海の水が血のようになって、海の生き物がすべて死にます。
第三の鉢
川と水の源がすべて血に変わります。
第四の鉢
太陽が人々を焼きます。
第五の鉢
獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、天の神を呪います。
彼らは良心に焼き印が押されているのでこれでもまだ悪を離れません。
第六の鉢
日の出る方から来る王に道を備えるためユーフラテス川が枯れる。
龍と獣と偽預言者の口からかえるのような汚れた霊が出て戦いのために全世界の王を集めます。
第七の鉢
Rev 16:17 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。
いなずまと人類史上かつてなかった規模の地震が起きます。大いなる都が三つに裂かれ、町々が倒れます。島々は逃げ去り、山々は見えなくなります。
20㎏~50㎏の雹が降ってきます。
神を呪う者は石打ちの刑だとレビ記に書かれているとおりです。
Lev 24:16 主の名を汚す者は必ず殺されるであろう。全会衆は必ず彼を石で撃たなければならない。他国の者でも、この国に生れた者でも、主の名を汚すときは殺されなければならない。
<第十七章>
終わりの日の悪魔教勢力、大淫婦バビロンへの裁きが説明されます。
このバビロンは宗教勢力と経済のくっついた勢力です。
ヨハネは七つの頭と十の角を持つ赤い獣に乗った女バビロンを見ます。
Rev 17:3 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
Rev 17:4 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
Rev 17:5 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
この日本とかいう国にはやたらと八芒星を神聖視してる勢力がありますが、まあ私の気のせいでしょう。
偶然だぞ、偶然!
彼らはイスラエルに攻め込み、いずれ心をひとつにして再臨のメシアに戦いを挑みますが、ボコボコに負けることが予告されます。
獣はこの淫婦バビロン(宗教バビロン)を憎み、焼き尽くして自分を神とします。
おそらく時期的には7年の艱難の後半のどこかでしょう。
ダニエル書に
Dan 11:37 彼はその先祖の神々を顧みず、また婦人の好む者も、いかなる神をも顧みないでしょう。彼はすべてにまさって、自分を大いなる者とするからです。
と、書かれている通りです。
この宗教バビロンは七つの丘を持つ街ローマであるといわれています。
<第十八章>
ここでは経済バビロンへの裁きが書かれています。
莫大な富を抱えて繁栄している大都市が焼き尽くされます。
ここは説明するようなこともないので読んでください。
<第十九章>
天の軍勢が獣と王たちの軍勢と最後の戦いを行います。有名なハルマゲドンの戦いです。軍勢がハルマゲドンに集まるのでハルマゲドンの戦いとして知られていますが、旧約聖書の預言を考慮すると、この戦いはヨルダンのボツラ(ペトラ)で行われるようです。獣は捕らえられ、偽預言者も共に捕らえられます。この二人は生きながら硫黄の燃えている火の池に投げ込まれます。
それ以外の者はキリストの剣で切り殺され、すべての鳥の餌になりました。
以上で7年間の艱難時代は終わります。
死後、地獄で焼かれたくない人はさっさとイエス・キリストを信じて悔い改めましょう。
ついでに概ね合ってると思われるフローチャートを貼っておきます。
<第二十章>
悪魔でありサタンである龍が例の「底知れぬところ」へぶち込まれます。ここは火の池(ゲヘナ)とは別みたいですね。
彼は千年の間つながれ、地上にはキリストが統治する国が誕生します。
大艱難の生き残りと復活したイエスを信じて死んだ人たちがこの国の国民となります。
この第一の復活者たちはもはや死ぬことがありません。
なお、悪人は千年が過ぎるまで生き返りません。
千年の終わりに、捕らわれていたサタンが解き放たれ、戦いのためにゴグ、マゴグを惑わし、エルサレムを包囲します。
これは千年期の間に生まれた罪の世を知らない子供たちにキリストの統治か、サタンの統治かを選ばせるためです。
神の統治を拒否する人々はまとめて焼かれます。サタンも役目が終わり、火の池(ゲヘナ)へ投げ込まれて焼かれます。
これが終わるとイエスを信じないで死んだ人たちが復活(第二の復活)の裁判が始まります。おのおのそのしわざに応じて裁かれます。イエスの恵みによる罪の許しを受け入れなかったからです。キリストを信じた人たちには裁きはありません。
それから死と黄泉も火の池で滅ぼされます。
もはや誰も死ぬことがなくなるのです。
<第二十一章><第二十二章>
新しい天地が創造され、神の子となった人間たちは光輝く平和の都でいつまでもいつまでも神と共に暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
Rev 22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
Rev 22:21 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。
アーメン!
エンディングテーマ
God Is Good All The Time - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gt-OouIx8Lk
ダニエル書と黙示録の終末預言
ダニエル書について
預言者ダニエルはユダ王国を屈服させたバビロンの虜囚となってネブカデネザル王の時代からクロス王の元年までバビロンに仕えた人です。
ダニエルはネブカデネザルの見た不思議な夢を解き明かし、バビロン全州の総督となり、バビロンの知者たちを統括する長となりました。詳しくはダニエル書をなめるように読んでください。
このダニエル書の預言とヨハネの黙示録は両方を読まないと意味がさっぱりわからない書物になってます。
さて、預言の解釈の前に聖書の基本ルールみたいなのを押さえておきたいと思います。
イスラエルの民がエジプトから逃れた時、イスラエルの民は約束の地カナンへ攻め込めという神さまの指示を拒みました。
エジプトからカナンまでは大勢でぞろぞろ行っても徒歩40日あれば行ける距離だったそうですが、民が戦いを恐れて拒んだので砂漠を彷徨うこと40年後に延ばされました。
民数記14章
Num 14:33 あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。
Num 14:34 あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。
聖書では人間の頑なさによって1日でおわる予定が1年に延びたりいろんなことが起きます。聖書預言の中ではしばしば1日を1年として計算しなければならないことがあります。
Eze 4:6 …… わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める。
聖書預言の解釈については↓にまとめました。
聖書預言解釈についてのまとめ
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/11/06/001737
サタンも聖書を研究してるそうなので、サタンを出しぬくためにこんなややこしくなってるのだそうです。
そんなわけで聖書は全体と調和する形で解釈していかないと意味を取り違えてしまうんですね。だから十字架から2000年たった今でもこうしてあーでもないこーでもないと聖書が研究され続けるわけです。
本当に人智の及ばないお方です。ハレルヤハレルヤ。
話を戻してダニエル書には70週(490年)の預言にメシアの到来が預言されており、
この預言はイエス・キリストによって最後の1週(7年)を残して成就されました。
この70週の預言はとても難解なので
ロゴスミニストリーさんのサイトhttp://www.logos-ministries.org/j_frame.html の
翻訳メッセージの中にある 患難と教会(日本語訳pdf) から転載します。
〈〉内は私の注釈です。
---
紀元前538年ごろ、預言者ダニエルは、神が彼のために与えられるであろう特別な命令を待っていました。
ダニエルは70年間のバビロン捕囚が終わろうとしていることに気づいていました。突然、御使いガブリエルがダニエルに現れました。ダニエル書9:24で、ガブリエルはダニエルに言います。
70「週」(文字通りには、“sevens”、7年の周期を表す。)が「あなたの民(イスラエル)」と「あなたの聖なる都(エルサレム)」については定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し(幻や預言の完成、成就)、至聖所に油を注ぐためである。」
御使いは続けて言います。引き上げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油注がれた者(メシヤ)、君主の来るまでが7週と62週、または、合わせて69週。それぞれの週が、7年の周期を表すことから、69の7年周期とは、つまり483年となる。ロバート・アンダーソンは「来るべき君」(The Coming Prince)[1]という本の中で、こう説明している。
この周期はバビロンのカレンダーに準拠していて、1年間は360日である。したがって、483年は173880日である。紀元前445年、3月14日、ペルシャのアルタシャスタ王がネヘミヤにエルサレムを再建せよという命令を与えました。173880日後は、紀元後32年4月6日になります。この日、キリストはエルサレムに入城するのです。(アンダーソンの計算より[2])
ダニエルに与えた預言の最初の部分は文字通りその日に成就しました。しかし御使いは続けて言います。油注がれた者(メシア)は〈69週の後に〉「絶たれ、彼には何も残らない。(文字通りには彼自身のためには何も受け取ることはない)やがて来るべき君主の民が町と聖所を破壊する。」
町の破壊は、紀元後70年にティトスのもとエルサレムが略奪されたときを示しています。ティトスはローマ軍の指揮官でしたが、民の君主ではありませんでした。ネロが破壊を命令した君主でした。もっとも、エルサレムが陥落する前に彼は死にましたが。
エルサレムの町、そして民の聖所は御使いが宣告した通り破壊されました。そしてユダヤ人たちは散らされました。
ここまで、この預言は歴史上とても正確に成就しています。しかしながら、ガブリエルは70週がイスラエルのために定められていると言いました。油注がれた者(メシア)は、69週の後に断たれました。
それではどこに、70週目がいったのでしょうか。
ダニエル書9章27節で、御使いは再び「彼」という代名詞を使って「来るべき君主」〈黙示録の反キリスト〉について話します。
「彼は1週の間、多くの者と堅い契約を結び、」69週はエルサレムを再建せよとの命令が出てからイエス・キリストが来るまでで終わります。予告されたように、メシヤは王国を受けることなく「断たれ」ました。そしてユダヤ人は離散しました。ダニエル書の70週目の最後の1週はまだ、未来なのです。イエスはこの預言的な週をマタイ24章で言及しています。弟子たちはイエスの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのか尋ねました。15節でイエスはこう言いました。
「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。」それからイエスは世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような「大患難時代」の時を予告しています。70週目の週の真中に、『荒らす憎むべき者』が登場します。
ダニエルは9章〈27節〉の中でこの『荒らす憎むべき者』の話をしています。民の君主は「一週の間、多くの者と堅い契約〈中東の平和条約であろうと予想されています。〉を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
イエスが70週目の最後の週を、彼の時代よりも未来を指して言及していましたので、反キリストはまだイスラエルと契約を結んでいないため、これはまだ未来のことであると結論づけねばなりません。事実、反キリストが7年間の契約を結ぶのならば、それが最後の7年間の期間のはじまりのしるしとなります。
7年間の契約の半分くらいのところで、反キリストはイスラエルとの契約を破り、神殿におけるいけにえとささげ物とをやめさせます。ダニエル書12:11によりますと、そのはっきりした日から終わりまでが1290日です。
それからイエスは偉大な栄光の雲のうちに、彼の教会と共に再臨されます。パウロは言いました。
「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。」教会時代は、ダニエルの預言の69週目と70週目の間にあてはまります。
パウロによりますと、エペソ3:5でこの奥義は旧約の記者たちからは隠されていました。現在神様は、異邦人たちの上に、恵みの聖霊を注いでいます。彼の御子のため花嫁を引き寄せています。異邦人の時が満ちた時、
神様は待ち焦がれた花嫁、教会を引き上げます。これを教会の携挙と一般的に呼んでいます。[1]Sir Robert Anderson著、The Coming Prince(Grand Rapids:Kregel Publications).
[2]日数は次のように計算されています。紀元前445年から紀元後32年までが476年。この年月を1年365日のユリウス暦に換算します。そうすると173,740日になります。これに閏年や3月14日から4月6日の24日間の違い(ユダヤ教の慣習を含めた計算)の修正のために116日間を加えます。
そうすると、合計で、173,880日となります。
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このように70週の預言は、メシア(イエス・キリスト)が断たれた時69週目に1週を残して預言の成就が止まっていると考えられます。(ユダヤ人がメシアを拒んだので先延ばしになった。)
終わりの日の大患難が7年であるというのはここからきてるわけです。
ダニエル書の中でバビロンの後の世界帝国の興亡についての幻を見せられますが、
金属(金、銀、青銅、鉄)やら動物(獅子、クマ、豹、化物)にたとえられたこれらの国々は以下のものでした。(これいろんな人が書いてるので画像のみで割愛します。→09/21追記:解説記事つくりました。獣の国 )
バビロン 525BC - 457BC
メド・ペルシャ 457BC - 332BC
ギリシャ 332BC - 30BC
ローマ帝国 30BC - 476AD AD70にエルサレム陥落
↓↓↓
↓↓↓この次が
鉄と粘土の入り混じった10本の指、また10本の角で表される国(未来の10か国連合国家?)
ここでローマ帝国で途切れてるのはユダヤ人の国がAD70にローマへの反乱で消えてなくなったからで、歴史的にはユダヤ属州が消し去られローマ人によってパレスチナという地名をつけられました。
最後の10本の角の国はEUであるとか世界を10分割した国であるとかいろいろ言われてますが、きっとその時が来ないとわからないのでしょう。
そしてAD70年以降は「異邦人の時」でありこれは終わりの七年の直前まで続きます。
黙示録2~3章に預言された7つの教会の時代です。
で、何度も書いてますが1948年のイスラエル建国(エゼキエル36、37章他)を皮切りに1900年の時を経て再び聖書預言が成就しはじめました。
ちなみに詩篇83篇の戦争預言はイスラエル建国から始まる中東戦争を預言したものでした。(詩篇83篇の戦争は四度に渡る中東戦争だった。 参照)
ダニエル2章より
Dan 2:44 それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。
Dan 2:45 一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、あなたが見られたのはこの事です。大いなる神がこの後に起るべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」。
これはキリストの御国の到来を預言していると思われます。
これを踏まえて黙示録に出てくる七人の王(ローマ帝国皇帝を表している)について考察していきますと、
Rev 17:9 ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
Rev 17:10 そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
Rev 17:11 昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
ここからヨハネが啓示を受けた時期は AD 6-100年の間のどこかであり、五人がすでに倒れ、とありますから6人目の皇帝ヴェスパシアヌスの時代 AD 69 - 79年の間であるとわかります。七つの山とは七つの山を持つ町、すなわち七つの丘の町ローマです。
七人の王がローマ帝国の王(皇帝)であることがわかります。
エルサレムの陥落がAD70年でしたから、ここで預言の成就は止まってしまい、しばらくおるという七人目の王はヨハネの時代の「ひとりは今おり、」というヴェスパシアヌス帝の息子ティトゥス(預言された七人目の獣というにはほど遠い人物でした。)ではなく、終わりの日に現れる反キリストであることがわかります。
ところで、ヴェスパシアヌスの前に内乱の時代に皇帝が3人出てきたじゃないか、六人目はガルバではないかという人もいますが、彼らは帝国全土を掌握していたわけではありませんでした。またヴェスパシアヌスという人には興味深い逸話があって、この人は対ユダヤ戦争に参加した将軍であったわけですが、ガリラヤ攻略の際にフラヴィウス・ヨセフスという歴史家の率いるユダヤ軍と戦っています。ここでヨセフスは敗北して捕らえられるわけですが、啓示があったのか何なのか、自殺をやめて投降した上、ヴェスパシアヌスに対して「あなたが次の皇帝になる。」と預言してるんですね(ネロがまだ生きていた頃です)。ここの預言の六人目がヴェスパシアヌスであることを推す理由の一つがこれです。
黙示録17:10 七人の王 ローマ帝国の皇帝たち
1 アウグストゥス BC 27 - AD 14
2 ティベリウス AD 14 - 37
3 カリグラ AD 37 - 41
4 クラウディウス AD 41 - 54
5 ネロ AD 54 - 68 ユダヤ属州への攻撃を指示 クリスチャン迫害
-----内戦-----
6 ヴェスパシアヌス AD 69 - 79 AD70エルサレム陥落
ここまではユダヤ人国家がありました
ヨハネが黙示を受けたのはこのへんかな?(AD70~79)
×ティトゥス AD 79 - 81 預言的なことは何もせずすぐ病死
やはり70年以降預言がとぎれていると思われます。
七人目はティトゥスではなく、終わりの日に現れる世界帝国の独裁者反キリストです。
----------1900年経過----------
終わりの日
7 反キリスト しばらくおることになっているはずの王 来るべき君主 黙示録では 海から上がってくる獣(13章)
※ちなみに聖書の中で海は異邦人の群衆のことを意味しています。
8 昔はいたが今はいない獣 第八のもの
これら七人のうちの一人に憑りついていた獣と呼ばれる悪霊であると思われます。そうでないと説明がつきません。まさかローマ時代の皇帝が蘇ったりはしないでしょう。
反キリストは7年間の半ばでテロ攻撃か何かを受けて致命的な傷を受けることが預言されています。(黙示録13:3,13:14 ゼカリヤ11:15-17 腕と右目を斬りつけられる)
おそらく、この襲撃によって反キリストは獣に人格を乗っ取られると思われます。
(追記:この辺の話は修正続きでややこしいので次の記事をご覧ください
黙示録あらすじ
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/07/23/155528
追記終わり)
黙示録13:3
Rev 13:3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。
Rev 13:14 ……つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣……
ゼカリヤ11:15-17 愚かな牧者の預言
Zec 11:15 主はわたしに言われた、「おまえはまた愚かな牧者の器を取れ。
Zec 11:16 見よ、わたしは地にひとりの牧者を起す。彼は滅ぼされる者を顧みず、迷える者を尋ねず、傷ついた者をいやさず、健やかな者を養わず、肥えた者の肉を食らい、そのひずめをさえ裂く者である。
Zec 11:17 その羊の群れを捨てる愚かな牧者はわざわいだ。どうか、つるぎがその腕を撃ち、その右の目を撃つように。その腕は全く衰え、その右の目は全く見えなくなるように」。
フリーメイソンのシンボルが三角形と片目だったり、よくミュージシャンなどが右目を隠す仕草をしていますね。最近はあらゆるサブカルに片目のシンボルが埋め込まれていますが、これは右目を打たれた来るべき反キリスト(荒らす憎むべき者)を示していると思われます。
↓超絶やっつけですがこういう感じのポーズですね。
↓こちらは右目を斬りつけられた傷のメイクです。
韓国のアイドル?
漫画やアニメだともっと露骨ですね。片目を隠した隻眼キャラだらけです。
ただし左目を隠してるのは関係ないかもしれません。
18ページ分もいます。やりすぎです。
色々な作品の片目隠れキャラまとめ(更新中) - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138470152677436501
スターウォーズでも
聖書にはサタンがしばしば出てきますが、この世の支配者たちは本気で悪魔を崇拝しており、悪魔の命令をこなすことで富を得るための知識や協力を得ているのです。
だから、もう21世紀だというのに戦争が絶えないわけです。
余談ですがネロ・カイサルをゲマトリア変換すると獣の数字666となるそうです。
これはぶっちゃけ誰でもいいんですけれどネロを操っていた悪霊が8人目である可能性が高いです。
独裁者「獣」とは? 666の意味
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/shumatsu06b.htm
さらに反キリストについてみていくと いけにえとささげ物をやめさせるとあります。
つまりユダヤ人たちがそれらをささげる場所、エルサレムのソロモン神殿があった場所に第三神殿が建てられるということです。
この第三神殿についてはすでに建設の準備もささげものの準備も神殿で儀式を行う祭司の訓練も進んでおり、GOサインが出ればたった2か月で建造可能であると言われてます。詳しくは以下の動画をご覧ください。
第3神殿予告編日本版 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=31ZEKpRvasE
なんだかだいぶ話がそれてきたのでここらへんで一旦切ります。
まだまだ書きたいことがたくさんありますがダニエル書と黙示録の預言についてでした。
おわり。
いちじくの木の譬から終末が近いことを知る
イエス・キリストはマタイによる福音書24章の中で終わりの日の前兆について、次のような言葉を残しています。
Mat 24:32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
Mat 24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
いちじくは聖書の中でたびたび登場し、ルカ13章や旧約聖書エレミヤ書24章等でイスラエルの家の比喩となっています。
このイエスの言っているいちじくの木もそれであると解釈できます。
ルカ13章
Luk 13:6 それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。
Luk 13:7 そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
Luk 13:8 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。
Luk 13:9 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。
エレミヤ24章
Jer 24:1 バビロンの王ネブカデレザルがユダの王エホヤキムの子エコニヤおよびユダの君たちと工匠と鍛冶をエルサレムからバビロンに移して後、主はわたしにこの幻をお示しになった。見よ、主の宮の前に置かれているいちじくを盛った二つのかごがあった。
Jer 24:2 その一つのかごには、はじめて熟したような非常に良いいちじくがあり、ほかのかごには非常に悪くて食べられないほどの悪いいちじくが入れてあった。
Jer 24:3 主はわたしに、「エレミヤよ、何を見るか」と言われた。わたしは、「いちじくです。その良いいちじくは非常によく、悪いほうのいちじくは非常に悪くて、食べられません」と答えた。
Jer 24:4 主の言葉がまたわたしに臨んだ、
Jer 24:5 「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。
Jer 24:6 わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。
Jer 24:7 わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。
Jer 24:8 主はこう仰せられる、わたしはユダの王ゼデキヤとそのつかさたち、およびエルサレムの人の残ってこの地にいる者、ならびにエジプトの地に住んでいる者を、この悪くて食べられない悪いいちじくのようにしよう。
Jer 24:9 わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。
Jer 24:10 わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに与えた地から絶えさせる」。
マタイ21章
Mat 21:18 朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
Mat 21:19 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
これは実(神への信仰)をつけなかったいちじくへの預言でした。
新約聖書時代のユダヤ人たちはかたくなになって自分勝手にバプテスマのヨハネを追いやり、イエス・キリストが主であることも認めず、良い実をつけませんでした。
そのため、切られてしまったのです。
↓
キリストを十字架にかけさせたユダヤ人たちはこう言いました。
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
(マタイ27;25)
そして十字架からおよそ40年後、ユダヤ人はローマに対して反乱を起こし エルサレムは徹底的に破壊されました。つまり実をつけなかったいちじくが枯れたのです。
このとき、使徒をはじめクリスチャン達はイエスの警告に従って脱出していました。
この部分は置換神学者がよく引用して「だからユダヤ人へ与えられた祝福は異邦人教会のものになったのだ。」と言う箇所だそうですが、神様はユダヤ人を捨てたわけではありません。(このことはローマ11章でパウロが書いてますので読んでください。)
Rom_11:29 神の賜物と召しとは、変えられることがない。
とあります。
というわけで冒頭に挙げたマタイ24章32節はユダヤ人たちにキリストへの信仰が見られるようになり始めたら、イエス・キリストの再臨がすぐそこまで迫っているという意味です。
近年、イスラエルではメシアニック・ジューと呼ばれるユダヤ人でありながらイエス・キリストを主として受け入れた人々が現れ、じわじわとその数を増しているそうです。
CGNTVがこのことを取材し、映画化しています。このドキュメンタリーをご覧になれば確かに終末が近づいていることが理解できるはずです。
ユダヤ人というと神の民ということで色々幻想を抱いていましたが、見た感じかなり頑固な人々であるのに驚きました。
絶え間ない苦難の歴史が彼らの心を固くしてしまったのでしょう。
映画「回復」CGNTV Live 200K3 - YouTube(16/11/18消えちまいました!)
https://www.youtube.com/watch?v=E2MPfMqptvQ
※3分までCM
なんだか消えちゃったので予告編を貼っておきます。
回復予告編日本版 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3p2b6JwChOc
さらに超正統派ユダヤから離脱する人も増えているようです。
オリーブ山便り - 日本CGNTV の85番
http://japan.cgntv.net/
おわり