終わりの日

誰も真面目に調べない終末論、聖書預言の考察

携挙(ラプチャー)のありさま

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さて、聖書に啓示されている携挙(七年の大艱難時代の直前に信者が天に上げられる現象)について何度か書いてきましたが、実際にどのような形でそれが起きるのかもう少し考察してみました。

この奥義は新約時代に主に使徒パウロの書簡において語られているものです。該当箇所をピックアップしておきましょう。

 

 第一テサロニケ1章

1Th 4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
1Th 4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

 

第一コリント15章

1Co 15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
1Co 15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。


要するに神のラッパがなるときに信者が一瞬で朽ちない体に変えられて、雲に包まれて天に上るわけですね。


ところで、新約聖書では同じように天に上げられた人が何人かいるんですね~。


福音書では山の上でモーセとエリヤがイエスと語り合った直後、雲に包まれて天に戻っていったことが描写されています。

マルコ9章

Mar 9:7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
Mar 9:8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。


また使徒行伝では復活のイエスは弟子たちに大宣教命令を与えた後、雲に迎えられて、天に戻られたことが書かれています。

使徒行伝1章

Act_1:9 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。


黙示録では大艱難時代に現れる二人の預言者が雲に乗って天に上げられていきます。

黙示録11章

Rev_11:12 その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。


もういっちょ旧約聖書からですが、エリヤが上げられたとき、つむじ風に乗って天に上げられたと記録されています。

第二列王記2章

2Ki 2:11 彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。
2Ki 2:12 エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。そこでエリシャは自分の着物をつかんで、それを二つに裂き、
2Ki 2:13 またエリヤの身から落ちた外套を取り上げ、帰ってきてヨルダンの岸に立った。

 

この「つむじ風」(新改訳ではたつまき)と訳されている言葉なんですが、辞書によると hurricane storm tempest whirlwind となっていて、嵐、大嵐、暴風雨なんですね~。

 

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ここは小さな竜巻が吹いて飛んで行ったってイメージだったんですが、大嵐、暴風雨の中上げられていったとなるとこのシーンの印象がガラッと変わってきますね~。
おそらくこの時、エリヤとエリシャの頭上には雲が渦を巻いていたことでしょう。

またここで面白いのは、エリヤは着ていた外套(つまり衣服)を残して上がっていったということですね。
携挙の瞬間、着ていた服や靴などが地上に残される可能性は大ですね。

旧約聖書では雲は神の臨在を示すシャカイナグローリーの現れとして書かれています。
雲の存在を神が迎えに来ていると解釈すれば「空中で主に会い」というパウロ書簡の描写にも一致しますね。
今までの理解では、携挙の瞬間、信者は突然パパッと消える、あるいは突然死して死体が残るというイメージだったんですが、これらの聖句を考慮に入れると、携挙の瞬間、信者は持ち物を残して、雲に包まれて天に上げられていくのかもしれません。
その時には、地上から天に向かって伸びる雲がたくさん観測されるかもしれません。
これがわかっていると、地上に残っている未信者も、大量の人が持ち物を残して雲に包まれて消えるという現象が発生した時に、「携挙が起こった!」と認識することができますね~。くれぐれもUFOのアブダクションと間違えないように~。
それでは、今日はこの辺で~、マラナター。

 


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民数記23章
Num 23:19 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。

 

 

おしまい。