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終わりの日

誰も真面目に調べない終末論、聖書預言の考察

栄光の体

ラプチャー 聖書の真理 神の御業

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なんだかこのブログ、終末をテーマにしてるせいで暗~い話ばかりなので、たまには景気のいい話でも書きましょう。
聖書には御子を信じて第一の復活にあずかる者には新しい体が与えられる事が書かれています。

 

1Co_15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
1Co_15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

 

この体は朽ちない永遠の体です。

 

Mat_22:30 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
Mar_12:25 彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

 

復活の後には、めとったり、とついだりすることがなく、天にいる御使いのようなものだと書かれています。
そして復活した人々はもはや過去の罪をあげつらわれることもなく、新しい名前が与えられます。

 

Rev_2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

 

Rev_3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。

 

つまり、天にあげられる日には、肉体を捨てた人々は天使のような存在に作り変えられるんですね。


天使とは、どんな姿をしてるのでしょうか?
聖書に出てくるケルビムなどは、よくわからない姿をしていました。
ルシファーはおそらく龍のような姿をしていたのでしょう。彼は美の極みであったと書かれています。(エゼキエル28:12)
一方で聖書の中では御使いはしばしば人の姿で地上へ下ってきていましたね。(ダニエル9:21 で登場するガブリエルなど)

イエス様の墓の上に座っていた御使いは


Mat 28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。

 

となってますね。
やっぱりよくわからないですが、力を行使するための姿と、白い衣を着た人の姿とをとれるのかもしれません。


以下の記事にも一つのヒントがあります。
第252号  コロサイ人2:1-10 | HULDAH MINISTRY
http://huldahministry.blogspot.com/2016/10/252-2110.html
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アナベルに起こった奇蹟
イエス・キリストとの出会い、地への生還、不治の病の完治ー
2011年の12月、九歳の少女アナベル・ビームは、テキサス州の自宅の庭で姉妹たちと遊んでいたとき、足を滑らし、空洞になっていたハコヤナギの大木の中を真っ逆さまに木の底まで9m転落という恐ろしい事故に遭った。母親のクリスティはアナベルが三度頭を幹にぶつけて落下していく恐怖を目撃したが、そのことはMRIの結果で確かめられた。にもかかわらず、この落下時の大変な衝撃のほかには、表面的なこぶとかすり傷を負っただけで、アナベルにはそれ以外の何の外傷もなかった。落下時の頭部への激しい衝撃で何らかの損傷を受けたのではないかとの恐れも、MRI、X線、CTスキャンの結果、払しょくされた。

しかし、アナベルに起こった奇蹟はこれだけではなかった。アナベルは、事故の直後、意識を失っていた六時間の間、自分が経験したビジョン、―天に行き、キリストの膝の上に座って、「痛みのない天国におりたい」と願ったとき、キリストが「あなたのときはまだ来ていない」と答えられ、実際主が約束されたように、木のほらから救出される間、小さな妖精のような守護天使が彼女とともにそこに座っていたこと― を話した。さらに驚くべきことに、事故の後、一週間ほど経ったとき、彼女が幼少時から数年間患っていた不治の病、―食物を消化することができない、非常にまれで治療法のない腸の障害― から完全に癒されていることに気づいたのであった。

アナベルは五歳のとき、二つのまれな病、腸を詰まらせる生命にかかわる消化障害、―偽性閉塞運動性障害と洞性低運動性障害― を患っていると診断され、それ以降、ほぼ常時の痛みに苦しみ、固形物は一切食べることができない状態で、観血的なテストとほとんど効果が見込めない治療のため、頻繁な病院通いが続いていたのであった。そのような過酷な幼少時代のある時点で幼いアナベルは、母クリスティに「死んで天に行きたい。天国ではもう痛みがないから」と話したという。

アナベルの主治医は、事故以降の彼女の慢性病からの突然の癒しの説明に窮し、戸惑いながらも「奇蹟」とは呼ばず、しかし、2014年の11月、「アナベルには症状は全くなく、通常の生活に戻っており、もはや何の治療も必要ない」と言明し、彼女を治療から解放した。アナベルの母クリスティは、2015年にアナベルの奇蹟をつづった著書『天からの奇蹟』を出版、今年3月には、それに基づいた映画も公開される運びになった。

昨年の4月、クリスティと十二歳のアナベルを交えたフォックスニューズのインタービューで、クリスティの著書と映画が紹介された。アナベルは心的、感情的にも、また、学業にも優れ、すべての分野で幸せ、健康、通常の食生活、薬とは無縁の活気ある人生を楽しんでいることが伝えられた。事故前の彼女の消化器には神経損傷があり、神経が筋肉にメッセージを伝えることができないため、脳に送られた命令に同調して胃腸の筋肉が動き出すことができない状態であった。しかし、急降下の転落は、神経組織の中の何かを圧迫、刺激したのか、奇蹟的な機能回復をもたらしたかのようであったと、クリスティは当時を振り返った。
著書の中で、当初「奇蹟」という言葉を用いるのをためらったと記されていることを指摘され、クリスティは、形勢がいつ何時逆転するかもしれないとの不安があったことを告白した。しかし、神は「さあ、希望を与えた、驚くがよい!」、「あれはほんの冗談だった」というように戯れる方ではないとの確信を得たとき、その恐れは克服できた。

さらにアナベルが天に行き、戻ってきたとの確信をどのようにして得たかの質問に、クリスティは、長女とアナベルとの間に二度の流産があったことに言及して、神がもう一人の子を授けてくださるとの「信仰」を持ち続け、その結果生まれたのがアナベルであったと語った。アナベルが、天で小さな子に会い、キリストがその子は妹だと告げたことを話したことはクリスティには驚きであった。厳密には、二度の流産のうちの一つは、「卵子の荒廃」と呼ばれる状態でそこに生命はなかったが、もう一つの流産はすでに生命が芽生えていて失われたものであった。アナベルには二度の流産について話してあったが、その詳細は何も語られていなかったのである。アナベルはまた、2010年に腸管閉塞に対する手術後死亡した曾祖母をも天で見たと語ったのであった。

クリスティはアナベルに不治の病が診断され、苦しむ我が子の絶望的な状態に遭遇したときしばらくの間、信仰を失ったが、教会、信仰生活に復帰、家族中の信仰は今や、周りの人たちに真の神を告げ知らせることに向けられている。

 
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なんと、少女の気を失っている間(おそらく幽体離脱をしていたのでしょう。)、小さな妖精のような守護天使が彼女とともにそこに座っていたんだそうです。
そんな姿の御使いもいるんですね!
このブログ、興味深い事が書かれた記事がたくさんあるのでまたそのうち紹介したいと思ってます。


脱線ですが、臨死体験という現象は20世紀中盤あたりから研究されていて、ニアデス体験とか呼ばれています。
このような体験をまとめた立花隆氏の臨死体験という本によると、面白いことに信仰している教えによって、体験内容が変わってくるんだそうです。

クリスチャンの報告ではたいていトンネルをくぐって神様のところへ行きますが、
たとえばヒンドゥー教徒の場合だとヤムラージという日本でいう閻魔大王が裁きを行っている所に連れていかれるんだそうです。で、決まって「こいつはまだ死ぬ予定じゃない」とか言って帰されるんだそうです。
日本人だと三途の川がよくでてくるとか。
悪魔も、自分に与えられた人々にそういうビジョンを見せてるんだろうなと考えられます。
神様のところへ行った人は、その後の生き方や考え方がガラっと変わるんだそうですが、それ以外の体験ではそういうことはないそうです。

 

↓たとえばこんな人もいました。

「元無神論者大学教授「黄泉~天国への臨死体験を語る パート1」
https://www.youtube.com/watch?v=res1ZJ07BoA

無神論者大学教授「黄泉~天国 臨死体験を語る パート2」
https://www.youtube.com/watch?v=Iiz_4NXUxLk

 

驚くべき元ユタの証し
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/08/01/182258

で紹介した金城米子さんも自殺未遂~臨死体験からの生還者でしたね。

彼女は悪魔の使いであったユタから神の僕として復活しました。

 

彼らの臨死体験の証からは霊体の持つ能力を類推することができます。

360°の視界が得られたとか、手や壁の向こうのものが透けて見えたとか、家族の事を考えていたら一瞬で家族のいるところへ行っただとかいう話です。

 

 

脱線ここまで


復活の日には、どのような姿に変えられるのかはわかりませんが、あなたの髪の毛の本数まで数えられている神様は、あなたの好みは完全に把握しておられます。あなたが最も満足して、それでいて高ぶらないような姿にあなたを変えてくださることでしょう。

 

Mat_10:30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

 

Luk_12:7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

 

復活の体には、また御使いのような知恵や力も与えられるでしょう。たぶん。イエス様が福音書の中で偉くなりたい者は、仕える人となれ、と教えているのもきっとそのためでしょう。

Mat 20:26 あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
Mat 20:27 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。

 

Mar_9:35  そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。 

 

知恵や力は、最も謙遜で、慈愛にあふれた神のような人物にこそ相応しいということです。御使いの強大な力は、本来弱い人間を助けるために与えられたもので、人間に崇められるために与えられたものではなかったんですね。

 

Heb 1:14 御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。

 

と、書かれているとおりです。
ところが、「こんな強い我々が、こんな弱い人間に仕えていられるか」と一部の御使いはその力を悪用し、堕落してしまいました。


妖精のようになりたい人!神さまを信じましょう。神のように拝まれたい人!あきらめてへりくだりましょう~。

書いててワクワクしてきました。

マラナター!

 

関連記事

魂と携挙(ラプチャー)の話
http://thedayofthelord.hatenablog.com/entry/2016/07/24/113027

 

 

詩篇27篇

Psa 27:13 わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
Psa 27:14 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。

 

 


おしまい。