終わりの日

誰も真面目に調べない終末論、聖書預言の考察

聖書に書かれた死者の魂の行方

 

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聖書には、人が死ぬと陰府(黄泉、ハデス)へ下ることが何度も書かれています。


Gen 37:35 子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。

Gen 42:38 ヤコブは言った、「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」。

Gen 44:29 もしおまえたちがこの子をもわたしから取って行って、彼が災に会えば、おまえたちは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう』。

Gen 44:31 この子供がわれわれと一緒にいないのを見たら、父は死ぬでしょう。そうすればしもべらは、あなたのしもべであるしらがの父を悲しんで陰府に下らせることになるでしょう。

 

Num 16:30 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。

 

1Sa 2:6 主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。


2Sa 22:6 陰府の綱はわたしをとりかこみ、死のわなはわたしに、たち向かった。

 

1Ki 2:6 それゆえ、あなたの知恵にしたがって事を行い、彼のしらがを安らかに陰府に下らせてはならない。


1Ki 2:9 しかし彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人であるから、彼になすべき事を知っている。あなたは彼のしらがを血に染めて陰府に下らせなければならない」。

 

Job 7:9 雲が消えて、なくなるように、陰府に下る者は上がって来ることがない。

 

Job 21:13 その日をさいわいに過ごし、安らかに陰府にくだる。

 


陰府とはどんな場所なのか?それは滅びの穴であるようです。


Job 26:6 神の前では陰府も裸である。滅びの穴もおおい隠すものはない。


陰府は広い
Hab 2:5 また、酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼の欲は陰府のように広い。彼は死のようであって、飽くことなく、万国をおのれに集め、万民をおのれのものとしてつどわせる」

 

陰府では死者が眠っている

Job 14:10 しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。
Job 14:11 水が湖から消え、川がかれて、かわくように、
Job 14:12 人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない。
Job 14:13 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。
Job 14:14 人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。
Job 14:15 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。
Job 14:16 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。


Psa 6:5 死においては、あなたを覚えるものはなく陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか。


sa 139:8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府床を設けても、あなたはそこにおられます。

 

Ecc 9:5 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
Ecc 9:6 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。
Ecc 9:8 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。
Ecc 9:9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。
Ecc 9:10 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。

 


死んだ人々をよみがえらせる時に、イエス様は眠っているのだといいました。


Luk 8:52 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。

Joh 11:11 そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。
Joh 11:12 すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
Joh 11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
Joh 11:14 するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。

 


死後も意識があるという説に用いられるイエスのたとえ話
ルカ16:19-31は死後も意識があるという根拠に使われる箇所ですが、聖書の他の箇所と相いれないここにしかでてこない概念が語られています。それはここでイエス様は真理を語っているのではなく、それがたとえ話だからです。

ここを持ち出してきて死後の話をする自称クリスチャンには注意された方がいいでしょう。全くわかってないか、わかった上で誤りに導いているかのどちらかです。

 

ルカ16:19-31

Luk 16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
Luk 16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
Luk 16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
Luk 16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
Luk 16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
Luk 16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
Luk 16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
Luk 16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
Luk 16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
Luk 16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
Luk 16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
Luk 16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
Luk 16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。


これは金持ちとラザロの話は神を頼みとせず、アブラハムの子孫であることを頼みとするパリサイ人律法学者に向けて語られたたとえ話です。

 神ではなくアブラハムを頼ってる金持ち → 自分たちはアブラハムの子孫であると豪語するパリサイ人・律法学者
 ラザロ → パリサイ人律法学者が忌み嫌って蔑んでいた人々

 

イエス様はパリサイ人まで救おうとされていたことがわかります。

ある金持ちが~
こう切り出してるときはたとえ話です。

Luk 15:11 ある人に~
Luk 16:1 ある金持ちの~

そんでもって


Luk 16:14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。

 

 

それから陰府について調べていると福音が書かれていたのでついでに載せておきます。


Psa 16:8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
Psa 16:9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
Psa 16:10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
Psa 16:11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。

Psa 30:3 主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
Psa 49:15 しかし神はわたしを受けられるゆえ、わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。
Psa 86:13 わたしに示されたあなたのいつくしみは大きく、わが魂を陰府の深い所から助け出されたからです。

Hos 13:14 わたしは彼らを陰府の力から、あがなうことがあろうか。彼らを死から、あがなうことがあろうか。死よ、おまえの災はどこにあるのか。陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。あわれみは、わたしの目から隠されている。

Act 2:27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。

 

 

※ところで、面白い事に口語訳聖書では  旧約→陰府 新約→黄泉

となっていて、旧約には黄泉という言葉がなく新約には陰府という言葉がありません。どちらも「よみ」です。何故なんでしょうか?訳者の意図がわかりませんね。

わけわからなくなるのでハデスと呼ぶことにしましょう。

 

 


死者はいずれハデスの眠りから覚めるときが来ます。


1Th 4:13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
1Th 4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
1Th 4:15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
1Th 4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
1Th 4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。


1Co 15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
1Co 15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
1Co 15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。


Joh 5:24 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
Joh 5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
Joh 5:26 それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。
Joh 5:27 そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
Joh 5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
Joh 5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

 

義人はいません。イエスキリストを信じる信仰によって義人とされます。


Rom 5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

 


また善人も、悪人も甦りますが、悪人の復活は裁きを受けるための復活です。
それぞれ第一の復活第二の復活として黙示録に記されています。

黙示録20章 
Rev 20:4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
Rev 20:5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
Rev 20:6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

Rev 20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
Rev 20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
Rev 20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
Rev 20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

第二の死とは、魂の死(永遠の死)のことです。

 

 

この第二の死にあずかる人たちはどのような人々でしょうか?

 

Rev 21:8 しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。

 

 

その他、死者に関する聖句


Dan 12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。

 

Isa 26:19 あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ、さめて喜びうたえ。あなたの露は光の露であって、それを亡霊の国の上に降らされるからである。

 

Mat 16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。


Mat 16:27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう

 

Mal 4:1 万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。

 


すべての人は一度は必ず死にます。
しかしイエスの救いを信じる善人は二度死ぬことはありません。

 

 

さらに、「わたしはすぐにくる。」というイエスの言葉が死とは無意識状態であることを物語っています。


Mat 26:63 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
Mat 26:64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。


イエスと一緒に十字架刑を受けている死刑囚に対して、
Luk 23:42 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
Luk 23:43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

 

Heb 10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。


Rev 2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
Rev 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
Rev 22:7 見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
Rev 22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。


つまり5000年前に死んだ人にとっても、さっき死んだ人にとっても、悪人だろうと善人だろうとどんなに遅くなったとしても、皆さんが死んで眠って起きる時にはすぐです!(再臨、あるいは裁きの時)ってことですね。
すべての眠りについた人に対して体感は死後すぐであることがわかります。
だから今日死ぬ死刑囚にはきょう(死の眠りにつき、目覚める頃には)パラダイスにいるであろう。と語られたのです。
神様は嘘はつかれません。神様が今日だと言ったら今日なのです。

なんだかさっさと死にたくなってきましたね(笑)。でも神様はあなたが自殺することは望まれないでしょう。不従順はいけません!

力を尽くし、心を尽くして主なる神を愛してください。隣人を愛してください。

 

アァメン!

 

Rev 1:17-18
「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。」

 

 

 

おわり