終わりの日

誰も真面目に調べない終末論、聖書預言の考察

いちじくの木の譬から終末が近いことを知る

 

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イエス・キリストはマタイによる福音書24章の中で終わりの日の前兆について、次のような言葉を残しています。


Mat 24:32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
Mat 24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

 


いちじくは聖書の中でたびたび登場し、ルカ13章や旧約聖書エレミヤ書24章等でイスラエルの家の比喩となっています。
このイエスの言っているいちじくの木もそれであると解釈できます。

 

ルカ13章
Luk 13:6 それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。
Luk 13:7 そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
Luk 13:8 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。
Luk 13:9 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

 

エレミヤ24章
Jer 24:1 バビロンの王ネブカデレザルがユダの王エホヤキムの子エコニヤおよびユダの君たちと工匠と鍛冶をエルサレムからバビロンに移して後、主はわたしにこの幻をお示しになった。見よ、主の宮の前に置かれているいちじくを盛った二つのかごがあった。
Jer 24:2 その一つのかごには、はじめて熟したような非常に良いいちじくがあり、ほかのかごには非常に悪くて食べられないほどの悪いいちじくが入れてあった。
Jer 24:3 主はわたしに、「エレミヤよ、何を見るか」と言われた。わたしは、「いちじくです。その良いいちじくは非常によく、悪いほうのいちじくは非常に悪くて、食べられません」と答えた。
Jer 24:4 主の言葉がまたわたしに臨んだ、
Jer 24:5 「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。
Jer 24:6 わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。
Jer 24:7 わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。
Jer 24:8 主はこう仰せられる、わたしはユダの王ゼデキヤとそのつかさたち、およびエルサレムの人の残ってこの地にいる者、ならびにエジプトの地に住んでいる者を、この悪くて食べられない悪いいちじくのようにしよう。
Jer 24:9 わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。
Jer 24:10 わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに与えた地から絶えさせる」。

 

 

 マタイ21章

Mat 21:18 朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
Mat 21:19 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。

 

これは実(神への信仰)をつけなかったいちじくへの預言でした。
新約聖書時代のユダヤ人たちはかたくなになって自分勝手にバプテスマのヨハネを追いやり、イエス・キリストが主であることも認めず、良い実をつけませんでした。
そのため、切られてしまったのです。

         ↓

キリストを十字架にかけさせたユダヤ人たちはこう言いました。
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

(マタイ27;25)


そして十字架からおよそ40年後、ユダヤ人はローマに対して反乱を起こし エルサレムは徹底的に破壊されました。つまり実をつけなかったいちじくが枯れたのです。
このとき、使徒をはじめクリスチャン達はイエスの警告に従って脱出していました。
この部分は置換神学者がよく引用して「だからユダヤ人へ与えられた祝福は異邦人教会のものになったのだ。」と言う箇所だそうですが、神様はユダヤ人を捨てたわけではありません。(このことはローマ11章でパウロが書いてますので読んでください。)

Rom_11:29  神の賜物と召しとは、変えられることがない。

とあります。

 

というわけで冒頭に挙げたマタイ24章32節はユダヤ人たちにキリストへの信仰が見られるようになり始めたら、イエス・キリストの再臨がすぐそこまで迫っているという意味です。

近年、イスラエルではメシアニック・ジューと呼ばれるユダヤ人でありながらイエス・キリストを主として受け入れた人々が現れ、じわじわとその数を増しているそうです。
CGNTVがこのことを取材し、映画化しています。このドキュメンタリーをご覧になれば確かに終末が近づいていることが理解できるはずです。
ユダヤ人というと神の民ということで色々幻想を抱いていましたが、見た感じかなり頑固な人々であるのに驚きました。
絶え間ない苦難の歴史が彼らの心を固くしてしまったのでしょう。

 

映画「回復」CGNTV Live 200K3 - YouTube(16/11/18消えちまいました!)
https://www.youtube.com/watch?v=E2MPfMqptvQ
※3分までCM

 

 

なんだか消えちゃったので予告編を貼っておきます。

回復予告編日本版 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3p2b6JwChOc

 

さらに超正統派ユダヤから離脱する人も増えているようです。

 

オリーブ山便り - 日本CGNTV  の85番
http://japan.cgntv.net/

 

 

 おわり